AKB48まとめんばー

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2013年2月19日火曜日

「峯岸みなみ丸刈り謝罪問題」をどう見るか? AKB48を経営学で考える

AKB48の峯岸みなみさんが丸刈りになって謝罪されたことについて、各方面で話題になり、いろいろな違和感が表明されています。

AKB48の元気あふれるパフォーマンスは、ファンだけでなく一般の人々にとっても好意的に受け取られる、日本を代表するエンターテインメントのひとつです。だからこそ、今回の「お泊りデート報道」が大きく取り上げられ、峯岸さんの謝罪についても、いろいろな意見や感想が述べられているといえます。

この連載の初回と2回目に、「AKB48のルーツは京都花街にアリ!?」というタイトルで、AKB48と京都花街に共通のビジネスシステムや人材育成の仕組みがあることをご紹介しました。そこで、峯岸さんの丸刈り謝罪問題についても、私の専門の組織論の視点から分析しようと思います。

AKB48のビジネスモデルの原型は、京都花街

まず、AKB48のビジネスの流れをあらためて整理してみましょう。

AKB48では、オーディションで集め選抜した若い女性たちの技能を育成し、舞台でチームとしてエンターテインメントを提供しています。そのコンテンツだけでなく、育成のプロセスそのものを観客やファンに楽しんでもらおうというのが、「会いに行けるアイドル」というAKB48のコンセプトを、ビジネススキームにしたものです。

実は、このAKB48のビジネスの仕組みの原型は、京都花街にあります(詳しくは連載初回と2回目を参照してください)。

図を見ていただければわかるとおり、舞妓さんがお座敷で技能を発揮することや、AKB48がエンターテインメントを提供することは、メンバーが自分の持ち場で能力発揮にベストを尽くすことだけでなく、それらを組み立てマネジメントするプロデューサー役の人や組織があって、成り立っています。

それだけではなくAKB48では、じゃんけんや総選挙など、ファンが参加型でアイドルを育成している実感を得られる場が、ビジネスの中に織り込まれています。ハプニングがあることも、AKB48のエンターテインメント性を支える要因になっています。そして、その時々の一生懸命なメンバーの様子が、アイドルという偶像の世界に、「マジ」や「ガチ」といった言葉で形容されるリアル感をもたらしています。

峯岸さんがファンの期待を裏切ったことについて、丸刈りになって謝罪されたことは、ある意味この「マジ」な気持ちを必死に表したとも受け取れます。今回の謝罪は、彼女がAKB48のメンバーとして育成されてきたからこそ、お詫びの気持ちを表すために何とかしたいという思いから生じたという側面もあると考えられます。

では、彼女が精いっぱいの誠意を込めて謝るという行為に、なぜ多くの人が違和感を抱くのでしょうか?

■京都花街にあってAKB48にないものは…

違和感の源泉は、AKB48のビジネススキームに欠落しているところと深く関係があります。

京都花街の仕組みにあってAKB48に十分にはないものは、メンバー個々人がブランドイメージを作り出していくための、ブランドマネジメント教育の仕組みです。

京都花街の舞妓さんたちは、置屋さん(舞妓さんを育成する事業者)に住み込み、置屋のお母さん(経営者)や先輩の芸舞妓さんたちと一緒に生活をしています。舞妓さんとしてデビューする前の15~16歳から、日本舞踊や邦楽だけでなく、舞妓さんらしくあるためにどう振る舞うのか、日常生活を通じて教育を受けているのです。

現在、舞妓さんにあこがれる少女たちは、京都以外の出身で伝統的な芸事の経験がないことが多いです。彼女たちはもちろんひたむきで一生懸命ですが、それだけでは不十分で、育成のプロセスを経験していくことが必要です。

こうした教育によって、京ことばや着物での立ち居振る舞いといった行動規範はもちろんのこと、日本髪でファストフードに行くことは厳禁といった、京都の舞妓さんというイメージに沿った生活態度を、自然と身に付けていくことができるのです。

舞妓さんらしさというイメージを、若い女性たちが自ら体現できるようになるために、周囲の人々から見守られつつ、時には厳しく指導を受けています。守るべきルールを決めるだけでは不十分で、どのようなことに気をつけるのか、どうすべきなのかといったことを、生活全般を通じて教えられています。

こうした育成指導には、彼女たちが所属する置屋さんや先輩の芸舞妓さんたちはもちろんのこと、お茶屋さん(プロデューサーに例えられます)や芸事のお師匠さん、関連事業者やご近所の人々、そして顧客など、あらゆる関係者がかかわっています。

京都に舞妓さんという人材がいることや育っていくことで、便益を受けると思われるさまざまな関係者には、舞妓さんというブランドを大切にする気持ちと、その維持のための指導や育成にかかわり負担をする姿勢があります。だからこそ、京都花街に飛び込んだ若い女の子たちが育成され、舞妓さんとして自覚した振る舞いができるようになるのです。

芸事を身に付けていくこと、舞台に立つ経験を得ることももちろん重要ですが、京都のブランドイメージにも重ねられる「舞妓さんらしく」あるためには、つねに信頼できる人たちから見守られ、日常生活で失敗を重ねつつ指導を受けながら学び、舞妓さんとしてのキャリアを培っていくことが大切なのです。

■「一緒に謝ってくれる人」が大切

このような仕組みがあるため、若い舞妓さんの失敗は当然、育成者の責任でもあると認識されます。たとえば、踊りの会で扇子を落としてしまうといったことがあれば、彼女の育成指導を引き受けたお姉さん役の芸妓さん、所属する置屋のお母さん(経営者)が、一緒に謝ってくれます。彼女の失敗は、指導者や責任者の失敗、ということになるのです。

ある舞妓さんが、「姉さんが守ってくれはる」と形容してくれたことがありますが、まさに若くて経験の浅い人の失敗を親身になって引き受けて、責任をシェアする姿勢が、業界全体にあるのです。

誤解を恐れずに言えば、もし失敗したことで丸刈りになって謝るのなら、育成の指導者や責任者も丸刈りになって、一緒に謝るということなのです。そして、育てる側にそこまでの覚悟がないと、ブランドイメージを自ら体現し続けるという、感情と行動にコントロールが必要な難しい仕事を若い人に引き受けさせて、さらにそれを実現できるように教育することは不可能だと思います。

ですから、峯岸さんの謝罪会見を動画で見たとき、峯岸さんがAKB48として活動したことで便益を受けてきた関係者、彼女の指導に当たったであろう(あるいは当たるべきだった)方々が、なぜ一緒に謝罪されないのか、気になりました。

AKB48のビジネススキームの問題点

AKB48のメンバーたちは、オーディションに応募してきたごく普通の女の子たちですから、デビュー前にエンターテイナーとして十分な経験があるとはいえないでしょう。また、一生懸命さは誰にも負けない気持ちがあっても、プロフェッショナルとして、あるいは社会人としてまだまだ未熟だということは、ファンも私たちも知っています。

ですから当然、このことは、関係者の間でも共有されていることだったはずです。もし、出来上がったプロフェッショナルなエンターテイナーでAKB48が構成されていたら、ファンや一般の人たちが、リアルな一生懸命さを受け取ることはなかったでしょう。

AKB48は、成長途上の女の子たちの一生懸命さをファンが体感できるから、アイドルだけれどリアルな存在として認知されます。握手会での数秒のファンとの接点に、彼女たちの真心を感じることができるのです。このようにして、「会いに行けるアイドル」としてのブランドイメージが形成されているのです。

つまりAKB48は、メンバーが大人として出来上がっていないことが前提のグループなのです。であれば、何らかの問題が生じることや失敗があることは、当然、想定できるはずです。

それを未然に防ぐために教育する仕組みを作り、失敗を一緒に謝ってくれる人やシェアできる責任者を置き、見守り育てるという視点が織り込まれていないと、必死で一生懸命な若い女性たちだけに責任を負わせる、アンフェアなビジネスモデルになると考えられます。

AKB48のようにチームとしてのブランドを作りエンターテインメントを提供する以上、ブランドイメージを体現できるプロフェッショナルとして育っていく大変なプロセスを、個人の自覚や責任だけに任せることは、組織論的には大きな問題があるのです。

■アイデンティティを培う仕組み

ファンに見守られ、踊りや歌などの能力を伸ばせば、おのずと組織内のポジションも上がってきます。しかし、自分たちのイメージをマネジメントできる力がきちんと育っているのかは、また別問題です。

峯岸さんの問題を聞いて、指原莉乃さんがHKTに移籍になったことを思い浮かべられた方も多いのではないでしょうか。そのことについて、秋元康氏は、下記のように語っています。

「指原はノーマークで、非行に気付かなかった親の責任だと思っている。名前は出せないけれど、何回も目撃されたりしていたという情報があるコには、『気を付けなさいよ』とか『どっちかにしなさいよ』って言ってあった。それなのに何かが起これば、イエローカード2枚目ということで解雇せざるを得ない。でも指原にはイエローカードがでていなかったの」(『GQ JAPAN』2月号、72ページ)

この発言は、峯岸さんの問題が起こる前のものです。若い女性たちが、ファンが大切にするAKB48のイメージを守り育てていくために、私生活をきちんと自己管理できるかということについて心配していることを、秋元氏が認めていると思われます。ブランドイメージを体現するという難しい仕事を、若い女性たちの自覚だけに担わせるのは困難だということを、もしかしたら秋元氏は、気がついていたのかもしれません。

京都花街では、歌や踊りなどの技能と、舞妓であるという職業上のアイデンティティの両方が培われていく学習のサイクルが回るようになっています。

技能形成を促す人間関係は、キャリア形成に応じた言葉をかけられる仕組みでもあり、若い人の自覚を自然に促すように機能しています。

AKB48のメンバーは、歌やダンスなどの技能を磨く機会があり、ファンとも親しい関係で見守られています。また同期や先輩との関係もあり、これらの面では組織論的に見て、京都花街とよく似た仕組みといえます。

自らキャリアの選択をして、秋葉原の劇場の舞台に立つ彼女たちは、とてもすてきです。将来の夢のために、今AKB48で必死に努力しようという意思と行動力は、私たちに感動をもたらします。

だからこそ、AKB48らしく、ファンの期待に応えながら、AKB48というブランドをメンバーがマネジメントできるようになる教育が仕組み化されていなかったことが、残念でなりません。そんな仕組みをビジネススキームの中に織り込み、関係者によってきちんと運営がされることで、彼女たちがはじけるような笑顔で舞台に立ち続けられるのではと考えます。